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使用人宿舎は午後からそわそわとした雰囲気に満ちている。今日は花火大会なのだ。今年も御兄弟と玄一郎は屋形船を用意し、付き人を任命された数名の使用人以外は正の計らいで自由に見物に出てよいことになっていた。はるは銀行から直接向かう正を迎えに行ってから屋形船に向かうことにしていた。もちろん遅れたら待たないという約束は去年と同じだ。
 日が傾き始めて涼しい風が渡るようになるころ、千富は使用人に見物に行く許可を出した。河原へ場所取りに行くもの、友人と銀座で待ち合わせてから出かけるもの、使用人たちは三々五々屋敷から出かけていった。たえもいそいそと出かけていった。三治と待ち合わせだという。いつものことだけれど、めんどくさいったらありゃしない!と怒りながら念入りに支度をするたえは可愛かった。はるは窓から見送りながら小さくため息をつく。

 …去年の花火はみんなとはぐれて、正様が迎えに来てくれたんだった。あれから一年の間に正様の婚約者となれるなんて思ってもいなかった。

 星が落ちてくるような花火をみた河原がありありと瞼に浮かぶ。去年は乗れなかった屋形船でもっと近くで見られるかと思うと胸が躍るようだ。また正には「子供のようだな」とからかわれそうだけれど、はるは楽しみで仕方なかった。この日に合わせてこっそり自分で仕立てた浴衣の柄は、正と庭でばったり会ったときに集めていた撫子の柄にした。正の浴衣は寸法を思い起こして仕立てた。いつもきりりとした格好だから、浴衣くらいは肌触りのよいもので寛いでほしくて、近江ちぢみの藍色にした。
 柱時計が午後四時を告げた。今から支度して迎えにいけばちょうど正の終業の時間くらいだろう。とはいえ、仕事の虫の正が時間通りに切り上げるとは思えず、間に合う時間に銀行を出られればよしとすべきところなのだろう。
 
 五時を過ぎて正の執務室に行くと、予想通り正は黙々と仕事をしていた。髪も結い上げて浴衣姿で行ったのに、正のはるへの視線は一瞬で、すぐに書類に目をおとした。正は部下には早々に帰るよう指示しているのに、自分は黙々と仕事をするだけで一向に出かけようとする気配がない。

 こち…こち…
 外の賑やかさと裏腹に時計の音が執務室に重い。
 仕事なのだから、じゃまをしては…と思うが、はるは屋形船が気になって仕方がない。

 「あの…正様、船の時間がせまってきたのですが…」

 おそるおそる声をかけてみる。

 「ん…わかっている、少しそこで待っていなさい」

 正の反応はそっけない。
 夕暮れが迫ると、外の人通りの声は少なくなってしまった。銀座が近く普段は賑やかなのに、みんな花火の河原に集まっているのかと思うと、はるは悲しくなってくる。

 時計が六時を知らせた。
 正の仕事は終わる気配がない。
 銀行の中も最後の一人が先に退出する挨拶をして出て行ってしまった。

 時計の鐘が一つ鳴り、六時半を告げた。
 もう車を飛ばしても河原につく頃には船は出ているだろう。
 正がぱたりと万年筆を置いた。

 「待たせたな、すまなかった」

 もう間に合わないのに!

 …はるは怒っているけれど、仕事の都合なら怒りの向けようがない。

 「正様、今年も船に乗れませんでしたね」

 半分泣きべそ顔で笑顔を作る。
 正ははるの浴衣姿をゆっくりと眺め、抱きしめた。

 「可愛い格好をしているな。楽しみにしていたのか」

 正がおしゃれに気づいてくれたことが嬉しいのと、待たされて腹立たしいのと、船に乗れなかったのが悲しいのとで、わけがわからず涙がこぼれ落ちる。

 「もう…正様なんて知りません!浴衣も着せてあげません!」

 はるが泣きながらぽかぽかと正の胸を叩く。正にすっぽりと抱きしめられて安心しながら。正ははるの横の大きな包みにようやく気づく。

 「また、お前は私のシャツをハンケチがわりに…ああ、いや、すまなかった、浴衣も用意してくれたのか。着せてくれるか」

 正がはるの背中をやさしく撫で、涙に濡れた頬にくちづける。どんなに怒っていても、正にやさしくされれば許してしまう。

 「正様はずるいです!私のほうが何倍も正様が好きなんです!」

 どんなに泣き顔でも、むくれながら告白するはるが正にはかわいくてしかたがない。はるが着せてくれる浴衣に手を通すと、ちぢみのさらりとした風合いが夏の夕べには心地よかった。はるのひとつひとつの心遣いが愛しい。

 「そうか、私ははるの思いよりも少ないかな」

 「少ないです!」

 そう怒ってみたものの、浴衣姿の正は涼やかでもっと好きになってしまう。

 「それでは、浴衣のお礼と待たせたお詫びをせねばならんな」

 正がはるの手をとり、すたすたと歩いていく。階段を上がり、屋上の扉を開けると遠くに光の華が咲いた。夏の夕暮れの風が吹き抜ける。

 「…二人だけで眺めたかったのだが、私の思いは足りないかな」

 そう微笑む正の胸にはるは飛び込んだ。また泣きながらぽかぽか叩いた。
 正の腕のなかでこれからも何度も泣くんだろう。

 花火の音が遅れて二人の耳を掠めていった。















空の船 へ











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賑やかな昼下がりが過ぎ、夕餉の膳が奥の座敷にしつらえられた。

玄一郎が注文した鎧兜はなかなかに勇ましく壮観であった。
大きな花瓶には九十九院から送られた菖蒲が見事に活けられている。
縁側から庭に目を移せば、抜けるような青空に鯉のぼりが悠々と泳いでいる。

部屋についたら、赤ん坊はすぐ眠ってしまったので、玄一郎への到着の挨拶は勇とはるだけで行っていたから、玄一郎はこの席で初めて孫の顔をみた。

はるが赤ん坊を抱いて玄一郎の前に進む。

「玄一郎様、元気な男の子です。目元が涼やかなところが、おじいちゃま譲りです。抱いてただけますか」

目元の涼やかさは父親である勇そっくりなのだが、勇の切れ長のまなざしも玄一郎似なのである。勇がはるの言葉をうけて続ける。

「父上、初孫です。宮ノ杜の発展を願ってお願いいたします」

「………う、うむ。赤子を抱くのは雅以来だから、もう随分と久しいな」

平助は、おじいちゃまと呼ばれたときに玄一郎の耳がうっすら赤くなったのを見逃していなかった。髭をいじるのは、気持ちを隠そうとするときの癖だ。

まだ首も十分には据わっていない赤ん坊を玄一郎がこわごわ抱く。
実際、それぞれの奥方とはほとんど家庭的な時間も持たず、赤ん坊を抱くことなど、十指に余るほどだった。
はるが抱き方のコツを玄一郎に教える。
そのとき、息子たちそれぞれの妻が教えてくれたときの声が耳によみがえった。
”懐かしい”そんな感情が玄一郎を揺さぶった。

首をささえていないとちょっとむずかったが、赤ん坊はすぐにすやすやと玄一郎の腕の中で眠り始めた。
ずしっと重く感じられる。
少し湿ったような高い体温。
息子のときは、将来家督を譲ることとか、自分自身もまだ野心が猛っていたので、ここまで赤ん坊を抱くということを感じたことはなかったのかもしれない。

 ”孫とは、かわいいものであるな”

平助にも千富にも語らないであろう言葉を玄一郎は胸のうちでつぶやいた。

「……もう眠りおったわ。こやつ、宮ノ杜を継ぐにふさわしい大物になるであろうな。逞しく育てよ」

いつもの声色に戻ったようであったが、まだ耳が少し赤いのを平助は目の端で見届けていた。

九十九院が紅を伴ってやってきた。
茂が「みちのく酒田のお酒なんだって」と初孫を出す。
手際よく、たえが集まった人々の杯に注ぐ。

玄一郎が杯を高く上げる。

「……跡継ぎ誕生を祝い、宮ノ杜の発展を願って…乾杯…!」

「乾杯!」

錚々たる顔ぶれはまさに宮ノ杜ならではであった。

酒が進むと、喜びが座に満ちる。
トキが「勇の赤ん坊のころはなあ、おへそが…」と語りだし、「やめんか、トキ!」と勇が冷や汗をかきながらそれをとどめようとする。
周りが面白がって聞きだすごとに、どっと笑い声があふれる。
守は彼なりの距離感で縁側から鯉のぼりを見上げて渋茶をすすり、ちまきを食べている。皿のうえにはいつのまにか取り置いていた味噌の柏餅が置いてあった。
屋敷が賑やかになるころ、そっと玄一郎は書斎へと戻った。

この日、玄一郎は、はるの故郷近くの温泉地に私鉄を引き、遊園地の建設を含めた温泉保養地造成に着手した。
完成するのは二年後のことである。

夕暮れの青さを増す空に鯉のぼりが華やかに泳いでいた。





















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 昼過ぎに勇とはるが赤ん坊とともに帰ってきた。

 祝言を挙げてからというもの、勇は隠すこともなくはるを慈しんだ。
 いまや宮ノ杜の睦まじい若夫婦という姿が定着している。

 勇ははると赤ん坊をガラス細工のように大切にしているのは誰の目にも明らかで、はるが「そんなに心配しなくても」とたしなめるほどであったし、たしなめられたらたしなめられたで、勇は子犬のようにおとなしくなるのだった。

 数年前、勇のこんな姿を誰が想像できだだろうか。

 洋行を終えて帰ってきていた博が出迎え、節句の鎧兜を飾ってある奥の座敷へと案内する。
 座敷では雅がしげしげと飾りを眺めていた。
 
 はるは、初めて見る豪華な節句の鎧兜に目を丸くしていた。
 勇がはるの実家から持ってきた重たそうな重箱を飾りの前に置く。

「うっわー、柏餅だ!これ、おいひぃんだよねーんぐんぐ」

 博は見つけるが早いかすぐに柏の葉を剥いて餅にかぶりつく。
 横で雅がその食べ方に眉をひそめる。

「ちょっと!洋行したくせに、食事のマナーとか学んでこなかったの?食べながら喋んないでって何回言えばわかるのさ!」

「だって、んぐ、餅はかぶりつくのがおいひいんだよ、雅も早く食べなよ。もたもたしてると雅の分も食っちゃうぞー」

 博がもう一個柏餅を手にしてひらひらと高くあげる。

「お前にやる分はないよ!」

 雅がいまいましそうに柏餅をとりかえす。

 通りかかった千富がそれをみて目を丸くしていた。
 子供のときにしなかった仲のよい兄弟がするようなけんかをいまごろになってしているように思えたのだ。 はるが来てから、御兄弟の間も随分と変わったのだと改めて思った。

 はるは落ち着いたもので、横の重箱を示して付け加える。

「博様も雅様も、たっぷり作ってきたから大丈夫ですよ。雅様が手にしている緑色のお餅のほうは味噌餡です」

 はるがにこにこして説明を加えると、二人はすぐにおとなしくなる。

「ふぅん…、味噌餡って食べたことないんだけど」

 雅がやや怪訝そうな顔をしたところに、茂がしどけない格好で現れた。

「ふ、ふぁあああー。よく寝たー。」

「あ、茂、いいとこにきた。ちょっとこの味噌餡の柏餅食べてみてよ」

 雅が茂に命令する。

「こんにちは、茂様、先ほど戻りました」と、はる。

「我が子も初の長旅を無事に乗り越えたのだ」と、勇。

 勇はこれからもっと親ばかになるのだろう。

「味噌餡?あ、勇兄さん、おはるちゃん!お帰りー、若様とは初対面だ。かわいいなあ。ちっちゃいなあ。目元は勇兄さんそっくりだ。顔の丸さはおはるちゃん譲りかな?」

「赤ん坊はみんな丸いんです!もうっ」 はるが頬を膨らませる。

「あはは、ほらそっくり…って冗談だよ、冗談。で、何、雅。味噌餡?初めてだな。おはるちゃんの実家ではこれもあるの」

「はい、普通の小豆餡と味噌餡、両方あって、味噌餡はちょっと塩気が効いてて美味しいんですよ、勇様ったら作ってる横からぱくぱく食べちゃうから、味噌の数がちょっと少ないかもしれません」

「いま、さりげなく惚気たね?…でも勇の味覚はお座敷でみててもよくわかんないからなあ。どれどれ…」

「何を言うか。はるの家の手料理は素朴な味わいで本当にうまいのだ」

 こころなしか、はるの家に行くたびに勇の肌つやもよくなっているようだった。
 茂が一口かぶりつき、眉間に皺をよせる。

「え?お口に…あいませんでしたか?」

 はるが心配そうな顔になる。
 ちょうど進が帰宅して奥の座敷に顔をだした。

「やあ、はるさん、おかえりなさい。おめでとう。若様、はじめまして」

 進が優しい笑顔で挨拶をするやいなや、横から茂が味噌餡の柏餅を進に険しい顔で握らせた。

「進、いいから、これ、ちょっと食べてみなよ、おはるちゃんちの柏餅。雅が毒見しろっていうから食べたんだけど…」

「え、…」

 茂の剣幕に圧倒され、はるのおろおろした顔に胸をいためつつ、柏餅をほおばってみる。 想像していた小豆と違う香りがして数秒後、味噌と認識してからうまいと感じる直前くらいに、茂が雅には見えないように進に片方の眉を上げてにやりと笑う。
 進は、茂が雅をかつぐつもりだと直感する。

「う…、うわー、これはなあー。ちょっとあれですねーあれ。…はははははは」

 お座敷でならした茂とは対照的に棒読み加減がすさまじい進である。 茂の意図はすぐに察知できたものの、台無しにしてしまいそうで、心もとない。

 進がもくもくと食べていると正の足音が近づいてきた。
 かつてここまで正の足音をありがたいと思ったことはない。

「なんだ、騒々しいと思ったら、帰ってきてたのか」

「あ、正兄さーん!」

 すかさず茂が正の肩を組むようにして目配せして、味噌の柏餅を持たせる。

「なんだ茂、跡取りに挨拶させん気か、こら」

「まあ、兄さんも食べてみてよ。おはるちゃんが持ってきてくれた味噌の柏餅」

 新しいものにはとりあえず慎重になる正は怪訝そうな顔になる。

「雅のやつがさ、僕らに毒見させてるんだけど、なんかこう、あれなんだよねー」

 茂は雅を背にしてにやにやする。

「自分もいま一口食べたところなのですが、味噌がなんていうかあれなんですよね、はははは。博の口にはあってるようなのですが」

 進が茂をちらりとみてからこくこく頷く。
 その様子をみて正は茂のいわんとするところに気づいたようだ。

「博は何を食わせても美味しいんだろう」

「なんだよ、その言い方だと、まるで僕が雑食みたいじゃない」

 正は博の味覚はあてにしていないのだが、この二人が目配せしながら食べてるところをみて「まあいける味であるには違いない」と予測した。

「そこの二人はなに、それ、おいしかったのおいしくなかったの」

 雅がちょっといらいらして、話に割り込んでくる。

「あの、正様、田舎の味付けですから、お口にあうかどうか心配なのですが…」

 はるがおろおろしている。

「気にするな。この二人も、感想が言葉になってないようだからな。長男である私が説明できるように食べておかねばなるまい」

 正はそういうと、一口味わい「味噌だな」と、極めて端的な言葉で説明した。

「いや、これは、もうちょっと食べてからでないと、説明できんな。おい、もうひとつもらうぞ」

 はるは目を白黒させて差し出す。

「ねー?形容しがたい味でしょ?もうひとつ食べてからじゃないとわかんないよねえ」

 茂が含み笑いでもうひとつ食べる。

「わかんない味ですよね。では自分ももうひとつ…」

進も次の一個に手を伸ばす。 正が真顔で台詞を決める。

「次は、お茶が一杯ないと、説明できんな」

 正と茂と進がそれぞれ目が合い、含み笑いは笑いに変わった。

「もう、お口にあうならあうで素直に言ってください!心臓に悪いです!」

ようやく意味がわかったはるも胸をなでおろして一緒に笑う。

「あー、味見するふりして、まんじゅう怖いの真似してたな!!僕の分あとみっつとっておいてよ!」

 博が割り込んでくる。

「ちょっと!!なに楽しそうにしてんのさ!!美味しいんだったら、僕も食べるよ!たえ、お茶持ってきて!」

雅が怒りながら味噌の柏餅にかぶりついた。




ー参- へ





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宮ノ杜家の庭は新緑の間から差し込む光に満ちている。
 夏を思わせる日差しのなか、使用人たちがいそいそと立ち働いている。

 皐月である。

 庭に集まった数人の使用人たちに、たえがきびきびと指図している。

「はい、そこの新しく入ったあなた!もうすぐ銀座の百貨店と和菓子屋さんからいろいろ届くから、来たらすぐに男手を呼んで奥座敷の五月人形の横にに運んでね。それまで鯉のぼり、上げるわよ。…それにしてもいい絹ね」

 本条院トキの発注で千代子様お見立ての鯉のぼりは、恐らく京で手に入るなかでも最高のものなのだろう。染めも鮮やかに、絹の艶が陽光にまばゆい。 宮ノ杜の紋も染め抜かれている。
見とれている暇もなく、千富から声がかかった。

「たえ、菖蒲が九十九院様から届きました。活けて頂戴」

「はーい!ただ今参ります!」

 勇が家督を継いだのを期に、千富は先代当主専属となって一線を退いた。
 代わりに、たえが使用人頭に抜擢され、大忙しだ。

 先代当主は、勇が軍の仕事で多忙なことにかこつけ、今も実務の大半を担っている。 立場上隠居して身軽になればこそできることも増えたようで、以前ほど不穏な動きはないものの相変わらず宮ノ杜の周囲には玄一郎ならではの”お付き合い”があるようだ。玄一郎の険しい相貌は当主のときとさほど変わりがない。気難しさはもちろんのことである。

 たえは手の上の色鮮やかに染められた鯉のぼりをたたむ。

「全く、忙しいったらありゃしない」

 そういう言葉と裏腹に、たえの声は嬉しそうであった。
 玉砂利を踏んで喜助がやってくる。

「よっ!おたえちゃん。今日も張り切ってるねぇ。ま、おはるちゃんが里帰りから戻ってくるんだから、気合の入り方も違ってくるってもんかい?」

「おはるちゃん、じゃなくて『奥様』でしょ?それに若様の初節句なんだから、がんばらなくちゃ。勇様は、お休みごとに何時間もかけて奥様のところに会いに行って、…って、ちょっと!喜助さん、鯉のぼりのしっぽ!踏んでる!!」

「おっと、こりゃいけねぇ、退散、退散っと」

「あ!待ちなさいよ!ちょっと手伝ってよ……もう!」

 たえはその場の数人に鯉のぼりの指示を出して、菖蒲を生ける花瓶を選びに倉庫へ向かう。
 花瓶を持たせる気満々で、喜助を追いかける。

 庭の賑やかさは、開け放たれた玄一郎の窓にも聞こえていた。
 平助が新茶を淹れて玄一郎に差し出す。

「楽しそうな声が響いてまいりますな」

「うむ」

 ひと月ほど前、武者鎧を買いに行ったときの玄一郎は気前が良かった。
 いつぞやの舞踏会のとき、はるにドレス一式を買い与えたときのように。

 平助には、その様子から玄一郎が初孫を喜んでいたように思えたのだが、初孫との対面の日にしては普段とさほど変わらぬ様子なのが意外だった。

「玄一郎様の初孫ですからなあ。私も心待ちにしております」
 
 平助お得意の質問を極力避ける話しかたである。
 初孫をお迎えになるお気持は、と問わずにこういう表現を使うことで、玄一郎が話したければ話すだろうし、答えたくなければ聞き流すという様式のようなものがこの二人には出来上がっている。

「勇のやつは私ほど酔狂なことはすまい。いずれ跡取りになる赤子だからな。祝い事くらいはしっかりと整えてやらねば。…宮ノ杜の名に恥じぬようにな」

 玄一郎特有の硬い声色であった。


-弐- へ












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