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「――――――首飾りに耳飾り、それに履物が残っている。好きな女に贈る時は気をつけろよ」

 孟徳が宴に出るための花の衣装を選んでいた時、女性への贈りものは衣だけで良いと思っていた無頓着な俺に言った言葉だ。

 あれは烏林に行く前のことだった。俺はまだ花をどう思っていいのかわからなかった。ずいぶんと昔のことのような気がする。

 孟徳は女人にとてもまめだ。贈り物もするし、適度に顔を出す。政務であれだけ気配りをしながら、私的な時間にも気配りするのだから生来のまめさなのだろう。

 一方、俺はと言えば…。

 花と恋仲になったことは城内の大捕物で話題になり、瞬く間に噂が駆け巡ったからほとんどの人が知っている。ともに過ごす時間は増えていて、うっかり花の街歩きに付き添おうものなら「婚儀はいつです?」と口々に聞かれてしまいしどろもどろになる。

 孟徳にせっつかれて衣を持たされることもあるが、そうでもなければどれを選んで良いものか見当もつかない。

 とはいえ、花も欲がなく、派手なものは好まないようだ。そして贈り物をするとたいてい「元譲さんと一緒にいられればそれでいいんです」と屈託なく笑う。

 かわいい。うん、かわいい。

 あ、いや、問題はそうではなくて。

 その笑顔を一日の始まりと終わりに見られたらいいと、そう思うのだ。
 城の居室へ送り迎えをするのではなく、俺の邸で暮らせたらと…そう思う自分がいる。

 だから、妻問いをしなければ、と思うのだが、風雅とは程遠い生活をしていたせいで、どう言えばよいものか、何をすべきか思いつかない。

 孟徳が見かねて、烏林に行く前のあの時のように商人に衣や髪飾り、耳飾り、履物を沢山運ばせて俺と文若を呼んだ。

「元譲、出入りの商人に運ばせた。ここからあの子へ贈る衣を選べ」

 孟徳御用達の商人だ。上等な絹に鮮やかな染め。流行を取り入れ贅を凝らしている。

「孟徳、心遣いはありがたいんだが、なんというか、俺は贈り物は式典とかの特別な時でいいのではないかと…」

「何言ってんだ、元譲。お前はそうでも、女の子っていうのはきれいな格好するほうが嬉しいもんなんだぞ」

「私も丞相のお考えに賛成致します。部下が着た切り雀なのはいかがなものかと」

 清貧を好むと思っていた文若までもが孟徳の味方についたということは、やはり俺が気が利かないということなのか。

「いいか、元譲、そんなに放っとくと俺があの子を本気で口説くよ?」

 孟徳の目は本気だからたちが悪い。

「ああ、あの…みなさま…」

 商人がおろおろしている。

「元譲殿、商いの方も困っておられる。私もどなたかの溜めた政務が山積みで早々に執務に戻りたいので、選んでいただけますか」

 文若が「どなたか」のときに孟徳に目をやるが、孟徳は意に介していないようだ。雲行きが怪しくなる前に早く選ばなくては。

「ああ、わかったわかった、では、……衣はこれで、髪飾りは……これ、履物はこれにしよう」

 よくわからないなりに、選んでみる。

 商人が「こちらでございますね」と台に並べる。紅の衣に孔雀石の髪飾り、黄色の履物。「いかがでございましょう」商人が揉み手をして伺いをたてる。

 孟徳と文若が沈黙した。

 一呼吸おいて孟徳が片手で顔を覆って溜息混じりに言う。

「元譲、適当にもほどがあるぞ。あの子への愛情がみじんも感じられない」

「いや、俺なりに、選んだつもりなんだが…」

「それぞれは良いものだよ、だけどな、組み合わせっていうもんがある」

「元譲殿、色味は似たものを合わせるほうがまとまりが良いですよ。差し色は一つにしたほうが…」

「文若は地味なだけでなくて、そういうことも考えていたのか」

「当たり前です」

 涼しい顔をして文若が答える。この二人とはずっと近くにいるのに、どこでこの差がついたのか。


「いいか、元譲、あの子の姿を思い浮かべながら選んでみろ」
「お、おう」

 明るい花に似合うような……黄色の牡丹の髪飾り。色味を合わせろと文若が教えてくれたな。では衣は芥子色の鳥柄にしよう。一つは差し色でいいと言っていたな。履物は藍色の花飾りのついたこれにしよう。

「どうだ」

 文若が眉間のしわを深くして手をあてる。

「ここまで壊滅的とは…。色味は前よりも揃ってはいますが、それぞれ主張が強すぎて騒がしいと思うのですが」

 地の底が抜けるような溜息をつかれてしまった。

「……そうか…」

 肩を落とした俺の背中を孟徳が叩く。

「俺たちが見本を選ぶから参考にしてみろ」

 そういって孟徳と文若が一組ずつ選ぶ。

 孟徳は緋色の衣と共布の履物、翡翠の髪飾り。大輪の花に葉が添えられているようで華やかだ。

「あの子は遠慮するだろうけど、このくらい華やかなのも似合うと思うよ。俺なら『いつもと違う君が見たいんだ。きっと綺麗だよ』って口説くな。そして『この帯を解いていいかな』って」

「待て、孟徳」

「あー、ゴホン」

 文若が咳払いをする。

「元譲殿、怒気がだだ漏れですよ。丞相のいつもの軽口です。落ち着かれてください。ではこちらを。丞相に比べれば地味ではありますが、清楚な組み合わせの私のも悪くはないでしょう」

 文若のは藤色の衣に揃いの細工の銀の髪飾りと首飾り、さっき俺が選んだ花飾りのついた藍色の履物。清楚だ。

 華やかな衣装、清楚な衣装。

「うむ、確かにどちらも花に似合いそうだ」

「納得している場合か」
「納得している場合ではありません」

 二人の声がそろう。

「くっ…」
「ぷっ…」
「はははは」

 孟徳が目じりの涙をぬぐいながら言う。

「そういえばずっと前にもこんなことあったよな」

「お忘れですか、丞相。襄陽の美姫に元譲殿が翻弄されていたとき、丞相と私があれこれと口説き文句を夜通し考えていたことが」

「あったあった。ずいぶん前だよな。結局元譲の口説き文句は趣もなにもなくて響かなかったんだ」

「ううむ、そんなこともあったが、今は花ひとすじだからな」

「くくっ、見ればわかるよ、そんなこと」

「ぷぷっ、あの頃から元譲殿は変わってないということでしょうか」

「しかたないな、元譲がどれか一つ好きなものを選んで、俺たちが合わせる候補をあげてやるよ」

「助かる」

「さあ、お好きなものを選んでください」

 花がいつも身に着けている薄紅の玉に合わせて、薄紅の絢の衣を選んだ。本で飛ばされたときに手首に結びつけたあの玉だ。髪飾りは小ぶりな緋牡丹がいくつかついているものにして、葡萄色の履物を組み合わせた。

 気が付けば日は傾きかけ、文若は「私は政務がたまっておりますので」と足早に戻っていった。孟徳は何人分か選ぶらしくそのまま部屋に残った。

「あと、お前は明日明後日は休暇をとれ。もう一日延びても構わん。俺から言っておく」

「執務と訓練が」

「いいからあの子と出かけてこい。街に出るくらいしか最近時間が取れてないだろ。いい季節だからそれを着せて遠乗りにでもつれていってやれよ。街の連中、婚儀はいつかとそわそわしてたぞ。慶事は経済を回し市井を活気づける。お前にはその大役が控えてるからな」

 ばしっと俺の両肩に孟徳の手が乗せられる。
 いろんな意味で重圧だ。
「わかっている…」

「お前は見た目はごついのに、押しが弱いというか、詰めきれないところがあるからな」

「むぅ、何も言い返せんな」

「頼むよ、元譲将軍」

「御意。…孟徳、その、いろいろと感謝する」

「何をいまさら。俺たちの間だろ」

 孟徳はそういって微笑んでから、視線を衣に落として商人にてきぱきと指示を出しはじめた。

 退出して衣装箱を持って長い廊下を歩く。何と言って贈ろうか。
 花の様子を思い浮かべながら部屋に置きに戻った。





 秋の日は暮れるのが早い。
 執務が終わるのを待って花を招いた。

「……とまあ、そういうわけで、これを受け取ってもらえないか」

 経緯は説明できたが、俺の気持ちは言えていない。
 孟徳と文若が聞いていたらお小言を頂戴するんだろう。

 花は「こんな高価そうなのもらってもいいのかな。でもこの色、玉の色と同じでかわいい。この色を選んでくれた元譲さんの気持ちが嬉しいです。似合いますか?」と衣をあてて小首をかしげる。

 薄紅の衣は花の白い肌に柔らかく映えた。
 かわいい。これ以上見ていたら明日出かけられないくらいに花を求めてしまいそうだ。

「ああ、明日はそれを着て遠乗りにでかけよう。休みをもらった。侍女に馬で移動するから苦しくないように着付けてやってくれと伝えておく」

「ありがとうございます。あの、この箱に入っていた余り布って使っていいですか?」

「構わんが、どうした」

「てるてる坊主作ります。私のいた国の『明日天気になあれ』っていうおまじない」

 花はそう微笑んで、手布くらいの大きさの布の真ん中に詰め物をして糸で括った。
 目鼻を描いて、人形のようだ。手早くもう一つ作る。

「晴れてほしいとき、てるてる坊主を窓に吊るすんです。一つは元譲さんの分、もう一つは私の分、二つ作りました!」

 花が楽しそうに言う。遠乗りを楽しみにしてくれているのだと思うと嬉しい。

「これを吊るせばいいのか」

「はい、歌があって。幼稚園のとき歌ったの今でも覚えてるんです」

 鈴を転がすような声で歌う。
 晴れなければ首をちょんぎられるらしい。
 童謡の割に物騒だ。

「てるてる坊主も命がけだな。首がつながるようにがんばれよ」

 俺の一世一代の大舞台だ。
 今度こそ、俺から思いを言葉にして伝える大事な日にするのだ。
「せっかく二人で出かけられるんだから、がんばってもらわないと、ね、元譲さん」

 隣に立って、てるてる坊主を見上げていた花がこつんと頭を寄せてきた。

「ああ、まあ天気はどうであれ、一緒に出掛けられるいい機会だからな」

 屈んで唇を重ねる。
 深く重ねると離れがたくなる。
 額に唇を寄せてから「では明朝、支度が終わったころ迎えに行く」と抑えて花を送り出した。








『縒』 - 弐 - へ









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地震お見舞い申し上げます。すぐ思いつく範囲で網羅はできてないですが、不安な夜をすごされてるお嬢様に届いて、すこしでも和んでいただけますように。ツイートのまとめです。


広生「心配するな。日本のインフラ復旧の速さは信頼できる。今は物が落ちてこないところで体を横にしていろ。眠れなくても目を瞑っているだけで多少は休める。…俺が傍にいるから」


孔明「んん?眠れない?僕の弟子はそんなに繊細だったっけ。いつもと違う時には体力は温存しておくこと。必ず日常に戻るから、安心して隣で眠りな」


孟徳「もう、怖くないよ。何があっても君を守るから。大丈夫さ、天意が俺の時代が来ることを告げただけだよ。はい、腕枕。ここが君の場所だよ」


元譲「ん、いや、見回りのついでだ。別に駆けつけたわけではないぞ。怪我もなさそうで何よりだ。あ、ああ、その、まだちょっとこのあたりの様子を見届けてからだな。すぐに来れるところにいるからな。何かあれば呼んでくれ」


早安「……こうやってくっついていれば、安心だろ。俺は生き抜く術をいろいろ知ってる。だから、お前はくっついて寝てればいい」


公瑾「眠れないのですか。こちらへ来て顔を見せて。無茶ばかりする貴女がこんなに怯えた顔をするとは……ん?この歌ですか?子守歌ですよ。子供扱い?拗ねるくらいの元気があれば十分です。いいからおとなしく包まれていてください」







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 やっと完成しました、三部作の最後のひとつ(笑)。

 思いついたのが秋も深まったころでして、薄荷をお題に書くには寒くてのびのびになってましたが、ようやく初夏になってできました。大変お待たせしました。

 文字数的にも展開的にもさらっとしてるんですけど、意外とこれが難産でした。途中まで書いてなんか違うなあってネタを変えて。この二人らしい情景だなあって和んでもらえたらうれしいです。チタタプ、チタタプ(違う)。

 SS書いたのも『瑞香』以来なので2か月半くらい間が空いてしまいました。久しぶりすぎて早安SSにしてはめずらしく艶っぽくなり、この後書き続けたら年齢制限かけなくてはならなくなりそうなのでこの辺でやめときました。きっとあんなことやこんなことしてそうです。各自ご想像で補ってください。

 3000字くらいあるのにpixivでまとめちゃったので、更新になってしまいちょっともったいない気がしました。今度から文字数少なくても別建てにしよ。


 中の人は新しい環境で徐々に適応してる感じなので当分更新はゆっくりペースになりますが、ぼちぼち書いていきます。よろしければまた遊びに来てください。

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 早安は薬草だけでなく、鉱物や薬物にも詳しかった。それは暗部を担う間に教えられたものなのだろう。ちょっとした爆薬や麻酔薬ならこともなげに作ってしまうし、それを使って金属の採掘ができる場所をみつけることや、大物の狩りもたやすくこなしてしまう。早安が来てから村は豊かになっていて、”早安先生”という呼び方も定着した。

 
 私も何か役に立ちたいなあ…そう思うものの、早安のほうが上手なことが多くて、だいたい補助になる。

 …料理は、うん、多少は、慣れて……きたかな。慣れてきたことにする。
 薬草も結構覚えてきた。

 早安は私がいてくれるだけでいいというけれど、それだけでは何かもどかしい。

 蓮華の花畑でゆっくりしていると、早安が一角に薄荷の叢を見つけた。

「花、こいつは乾燥させて生薬に使える。いっぱい採って帰ろう」

「うん、わかった」

 葉を摘むと青い草の匂いの奥にかすかにスーッとする懐かしい香りがする。

 ミントの効いたリップクリーム、いつもポケットにいれていた。もうずいぶん前に使い切ってしまったけど。

 元の世界ではミントの成分はお菓子や化粧品、歯みがき、入浴剤、しっぷ、お薬、虫よけ……そうだ、葉っぱの種類は違うけどミントティもあった。本当にいろんなものに使われていた。ℓ‐メントールだっけ。パッケージの裏をみるとスーッとする成分があるときはいつもその名前があった。

そういえばチョコミントでは意見が割れたな。かなはチョコミント大好きで、私は普通。彩はミントと甘い組み合わせが納得いかないと言っていた。彩はお母さんと言うこと似てたなあ。みんな、元気かな。

「花?」

 手が止まっていた私を早安が心配そうに見ている。

「んーん、なんでもない、ここに来る前の世界ではこのスーッとする成分はいろんなとこに使われていたから懐かしくて」

「そうか…」

 早安が薄荷を摘む手を止めて私の頭を撫でた。早安は、言葉は少ないけど私を気にかけてくれるのがすごく伝わってくる。懐かしさや寂しさもあるけど、一緒にいられるから大丈夫。

「ありがと。あのね、薄荷は本当にいろいろなとこに使われていたんだよ」

 私が使われていたものについて話し始めると早安は相づちを打ちながら聞く。早安はしばらく私を見ていたけど、私が薄荷を摘み始めると安心したように手を動かした。生活のあらゆるところでミントの成分が使われているという話は早安には興味深いみたいで、帰ったらいろいろ試してみたくなっているようだった。こんなことなら化学の時間、もっとまじめに実験のレポートやったらよかったな。蒸留とか結晶の作り方とかその時だけやって楽しいで終わっちゃってた。

 私の話を聞いた早安が少し考えて口を開く。

「こっちだと煎じ薬や塗り薬に混ぜるくらいだな。お菓子や化粧品は思いつかなかった。家に蜜蝋と杏の種から採った油があるから化粧品にできるかもな」

「あ、それだとリップクリームができるかも」

「りっぷくりーむ?」

「うん、唇に塗るものなの。ここは風が乾いているからすぐに唇がかさかさになってこっちに来たとき持ってきたのはもう使い切っちゃった」

 私がそう言うと、早安は薄荷を摘む手を止めてすくっと立ちあがった。

「花、すぐ帰って作ろう!」

早安は私の手を引いてぐいぐい歩きはじめた。

「えっ、待って、まだそんなに採ってないよ」

「待たない!お前が喜びそうなものを作れるならすぐに試してみたい。足りなければまた採りに来ればいい」

 早安はいっぱいの笑顔で私に言う。早安は新しいことを試すのが好きだ。早安の青い瞳が初夏の日差しにきらきらしていた。

 早足で馬を駆けて家に帰る。

 馬に水を飲ませて、籠の中の薄荷を洗っていると早安が蜜蝋と杏油を持ってきた。

「薄荷を刻んで杏油に成分を溶かしこもう。それから蜜蝋と混ぜて軟膏と同じくらいの硬さにしてみる」

「どのくらい使う?」

「とりあえずそれぞれ一掴みやってみるか」

「了解」

早安と私は並んで薄荷を刻む。スーッとする匂いよりも草の匂いのほうが強い。

刻んで油に放り込み、よく混ぜる。箸の先で一滴手の甲に落として香りを試してみたけど、薄かった。だけどあたりにはさわやかな香りが満ちている。これだけで十分アロマテラピーみたい。蜜蝋も杏油もその状態になるまでとても手間暇がかかる。湯煎で溶かして布で濾したり、種の殻を割って中だけをすりつぶしたりそれだけで一日仕事だ。スローライフといえばそうなんだけど、この時代だと貴重な材料だ。リップクリームのために惜しげもなく使ってくれるのがありがたいような申し訳ないような気持ちになった。でも、新しいことを試している早安が楽しそうだからいいのかもしれない。

「まだ足りないな、今日採ってきた分全部使うか」

「がんばろー」

「おう」

 二人で並んで他愛ない話をしながら薄荷を全部刻んだ頃には日は傾いていた。乾かして生薬にするなら結構使える分は使い切っただけあって、杏油に溶けた成分はいい感じに濃くなっていた。蜜蝋を湯煎で溶かして、薄荷オイルを混ぜていく。混ざった後は貝殻に詰めて出来上がり。緑の軟膏は見た目にも涼しそうだった。一日かけた私たちの時間がこの小さな貝殻に結晶したみたいで宝もののように思えた。

「やっと出来上がりだな」

溶かした器に残っていたクリームを早安が指ですくって私の唇に乗せる。滑らかに唇に伸びていく感じはいつも使っていたリップクリームよりも柔らかくて高級感があった。青い草の香とスーッとする感覚が広がる。いろんな作業をするから少し荒れてカサカサになってる早安の指先がクリームで滑りながら私の唇を撫でる。その感触がなんだかいつもと違ってドキドキした。

「どう?花が使ってたものと似てる?」

 何度も唇の上を早安の指がなぞっていく。それはまるで抱き合っているときに私を探る指を思わせて私は言葉に詰まってしまった。

「あ、うん…とっても滑らかだしいいと思う…」

「何、顔紅くしてるの」

 早安がからかうように優しく見つめてくる。

「べ、べつに、なんでもないよ」

「へえ…じゃあ、俺も味見していい?」

 そういうと早安は唇を重ねた。

「味見って、私の唇からじゃなくてもいいんじゃ…」

「うん、涼しくていいな、これ」

 
「人の話、聞いてる?」

「聞いてる。花の唇でもっと試させて」

 早安はもう一度、指先でクリームを延ばしてから深く口づけた。

 もう、スーッとする涼しさは早安の体温に消されてしまった。蜜蝋に溶かし込まれた薄荷オイルのように、私も早安に溶け込んでいく。
 甘く、甘く。


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 花に妻問いをして、思いを通わせた。

 将来を約束できたことが、これほど幸せな気持ちになると思わなかった。
 瑞香のなかで、花を慈しんだ。花が腕の中でまどろむまで。

 花は気づいていないようだが、少しずつ美しさと色香をまとうようになった。
 それが私の腕の中で花開いていくのは、言いようのない満たされた気持ちだった。

 うとうとした花に腕枕をして髪を撫でる。

 半分寝ながら、花はつぶやいた。

「公瑾さん…私が公瑾さんのお嫁さんになるの、一番先に尚香さんに教えますね…」

 なんでそんなことを報告するのかと思ったが、私が気にすると思ってのことだろうとわかった。もう、他の男のことを気にしてやきもきするような気持ちはなかった。だが、気を回した花がかわいくて、抱きしめる。
 まだ夜は寒い。
 肩を冷やさないように夜具を首元までかけた。

 このぬくもりは、死が分かつまで共にある。

 日を重ねる分、愛しさも重ねて行こう。
 貴女の安らいだ寝顔がいつも腕の中にあるように。




 

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