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「―――――――――公瑾、いらっしゃい、琵琶の調律を教えてあげるわ」
「おお、そろそろ稽古も一休みにしよう、行って来い、公瑾」
それは懐かしい笑顔。幼いころよく遊びに行った従姉の夫婦。
懐かしい夢を見た。
目を開けると見慣れた自室が蒼い闇に沈んでいた。
隣には花がいる。
軍事官僚の家系に生まれた私は、幼いころから武術を鍛えられた。いずれ戦場に赴くのは元服するのと同じように当然のことと思っていた。裕福な家だったから空いた時間は自由に使えた。琵琶を覚えたのはこの頃だ。
従姉の夫君は今にして思うと隠密のような仕事をしていたのかもしれない。よく遊びにいって、夫君から体術の稽古をつけてもらい、従姉から琵琶を習った。夫君が戦に出たときの従姉の琵琶の音色は寂しげで、夫君がいるときには暖かな音色だった。
大きな戦があってから、従姉の琵琶は暖かな音色に戻ることはなかった。
想いは音に出ると知った。
しかし、それと戦場はまだ幼い私には結びついていなかった。
その冬、従姉は風邪がもとであっけなく逝ってしまった。
親戚は若い二人の死を悲しんだあと、しばらくすると日常に戻っていった。
それほど、死は身近だったにもかかわらず、実感として感じられることはなかった。
ただ、あの暖かな笑顔に会えなくなったことは寂しかった。
武術もほどほどにできたが、本当は楽を奏でることのほうが好きだったのかもしれない。雨夜には従姉の教えてくれた曲を爪弾いた。
ほどなく、私も初陣を迎えた。
刀ごしの肉を抉る感触と怨嗟の声に怯え、血の臭いにえづいた。殺られれば、自分もこの肉塊と同じようになり、いずれ忘れ去られ、全て潰える。斃れた兵士のなかに従姉の夫君がいるような気がした。
震えは止まらず、いつまでも血の臭いが鼻の奥に残った。
――――何のために、血を流す。
――――何のために。
戦から帰ると、私は兵法書を読み漁った。
大切なものを護るには、強く賢くなければ生き残れない。それが現実だと知ったからだ。
星を読み、地の利を活かすことも策には有効だった。寝る間を惜しみ、ただひたすらに知識を詰め込んだ。
いつか、戦がなくなり、死を悲しむ人が減ると良いのに、と願ったこともある。
それは花と同じだった。あれほどまでに花に苛立ち、試すようなことをしていたのは、どんなにそれを願っても、乱世には叶わないと諦めた自分を肯定したかったからかもしれない。
私は感情を封印し粛々と家名に恥じぬ程度の戦果を挙げていた。
伯符に出会ったのはそんな頃だった。
陽のような伯符と共に国をつくるという夢は私を強くした。
その伯符も私を残して逝ってしまった。
私も矢傷を受けて生死を彷徨った。
この国では死はすぐ傍にある。
戦などない国から来た花は、私がいなくなったら悲しむだろうか。
無鉄砲な花は危ないことに巻き込まれて私を置いて逝かないだろうか。
左腕に花の重みと体温があることを意識して安堵する。
なのに、息をしているか、確かめたくて顔を寄せ、起こさないように唇を重ねる。
一度では止まず、もう一度。
「ん・・・公瑾さん・・・」
寝ぼけて花が頬を寄せてくる。
ぎゅっと抱き寄せて、花の背中を子供を寝かしつけるように掌でそっと叩く。
ゆっくりとした拍に合わせて心の中で詠う。
結髮爲夫妻 恩愛兩不疑
歡娯在今夕 燕婉及良時
征夫懷往路 起視夜何其
參辰皆已沒 去去從此辭
行役在戰場 相見未有期
握手一長歎 涙爲生別滋
努力愛春華 莫忘歡樂時
生當復來歸 死當長相思
”――――――――――気をつけて若い身空を大事にし、私とともに過ごした楽しい時間を忘れないで欲しい、生きておられればまた帰って来れる日もあろう、若し死に別れても、末長く思い会おう”
先の武人の残した妻との別れを詠った詩だった。
「・・・大丈夫ですよ、公瑾さん・・・・」
いつのまにか声に出ていたのかとはっとする。
花はむにゃむにゃいって、すぅ・・・と寝息をたてた。
私の腕のなかで、安らいだ幼子のように。
声には出ていなかったのに、花には伝わったのだろうか。
花はわかっていて「大丈夫」と言ったのか。
寝言でそう言っただけか。
ただ、その一言で私を縛っていた何かが解けた。
私の冷徹な貌の奥に潜む恐れをいとも簡単にこの娘が氷解させる。
あれほど独りであがいたものを。
それが不愉快で、たまらなく愛おしかった。
花は、この蒼い時間に、こんな想いをこめて額に口づけられているのは知らないだろう。
私の方がこれほど深く愛している。
この蒼さよりも深く、深く。
引用詩:蘇武 妻との別れ http://chinese.hix05.com/Han/han07.sobu.html
壺齋散人(引地博信)様 漢詩と中国文化 http://chinese.hix05.com/Han/han.index.html
日本語対訳がありますので是非ご参照ください。
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