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つい何日か前、上巳節という川で身を清める行事があった。まだ早春だから行水どころではなかったけれど、身を清めるのは穢れを落として命が芽吹く春を迎えるという意味があるのだと公瑾さんが教えてくれた。その後は、桃の花をお酒に浮かべて飲んだり、楽や舞があって風流な宴があった。この世界では桃のお酒は厄除けの力があると言われている。濃紅色の花びらを重ねた桃の花は一輪でも華やかで、冬にじっとしていた気持ちをほころばせるような気がした。
この時期に結婚式を挙げる人たちも多くて、幸せそうな恋人たちとお祝いする声でにぎやかになる。男女とも鮮やかな赤い衣装で、女の人の冠には花の飾りがいっぱいついていて、とても華やか。私のあこがれだった白いウエディングドレスとは違うけれど、これも素敵だなと思う。おひなさまの前に桃の花も飾るものね。三月の行事って時代や国が違っても何か通じるものがあるのかもしれない、そんなことを思った。
そして、この節句の時期に恋心を伝える人たちも多い。大喬さんと小喬さんは、誰と誰がくっついたかの噂を真っ先に聞きつける。仲謀のお母さんの呉夫人や尚香さんと一緒にお茶を頂く機会がたまにあるけど、大小二人の情報は仲謀軍だけでなく出入りの業者さんまでカバーしていて、諜報力は本職よりもすごいんじゃないかと思う。
呉夫人は先代君主のお妃で偉い立場の人だから、初めは恐れ多くてかしこまってしまったけれど、厳しさの奥にあたたかさのある人で、こういう女性も素敵だなあと思ったりした。公瑾さんと私が想い合っているのも知っていて、この世界に不慣れな私に必要なことをそれとなく教えてくれたりして、お母さんとはちょっと違うけど、頼りになる年上の女の人だ。呉夫人が人を見る目はしっかりしていて、良い二人ね、という感想のカップルはたいてい長続きして夫婦になっていた。公瑾さんと私はどう見えてるんだろう。ふさわしくないと思われてたらお茶の席には呼ばれたりしないよね…内心そんなことを思ったりしていた。
今日は、仲謀軍の武将で式を挙げる人がいてその話題になった。
大喬さんと小喬さんの賑やかなおしゃべりが茶室に響く。
「でね、結婚してくださいってようやく言ったんだってー」
「普段偉そうにしてるけど、恋敵ができて慌てて求婚するのはちょっと情けないよねー」
二人の噂は容赦ない。尚香さんがたしなめる。
「ふたりとも、そういう噂話もほどほどにして、今は御式のあとなんてお祝いを言おうか考えましょうよ」
「やっぱり、おめでとう!だよね」
「幸せにね!っていうかな」
どこの国でもお祝いは一緒だ。
呉夫人が、
「そうですね、いろいろあっても納まるところに納まる良い二人の門出ですから、幸せになることを願いましょう。お祝いの品は絹にしましょうか。このなかのどれがいいかしら」
と、歌を口ずさみながら、いくつもある反物を手に取って選び始める。
と、歌を口ずさみながら、いくつもある反物を手に取って選び始める。
大小二人もその反物を眺めて楽しそうにしている。
桃之夭夭
灼灼其華
之子于帰
宜其室家…
尚香さんがそっと教えてくれる。
「結婚式のときによく詠われる昔からある詩なの。瑞々しい桃を若い女の子に喩えていて、嫁いだ先も繁栄して幸せになることを願う言祝ぎなのよ」
「桃にはいろんな役割があるんですね」
「そうね、厄除けも、めでたさも。桃も忙しいわね」
くすっと尚香さんが笑う。桃の季節っていろいろ意味があって、そんな季節にたくさんの人から幸せを願ってお祝いしてもらうのっていいなあ。ジューンブライドみたいなものかな。私もいつか、公瑾さんと赤い衣装で…そんなほっこりした気持ちで眺めていたら尚香さんがこっそり聞いてくる。
「公瑾殿とはどうなってるんですか?」
見透かされたみたいでどきっとする。
「あ、そうなれたらいいなって思ってたところで、特にこれといって具体的な話は…」
困り笑いで答えるしかなかった。
「公瑾殿ものんびりしてるわね。…ね、花さん。いつか、その話がでたら一番先に教えてくださいね」
いつかは、そんな話…でるのかな。何となく一緒にいるのが当たり前になってるから、そんな雰囲気もないんだけど。今は、一番先に教えてって言ってくれるひとができたことが嬉しくて笑顔で答えた。
「はい、いつになるかわからないけど、もちろんです!」
「花さん、大丈夫よ。今の公瑾殿は貴女しか見えていないみたいだから」
「ふふ、そういってもらえるとほっとします」
お茶会のときにそんな話題になったからか、桃の花の下にいる恋人たちに目がいくようになってしまった。遠い世界から来た私の立場は、なんとも説明しがたく、公瑾さんの恋人としているけれど、曖昧なものだ。考えないようにしてたけど、公瑾さんの気持ちが離れてしまったら、仲謀軍のなかに私の居場所はない。それでも、公瑾さんは私を大事にしてくれているし、二人でいるときはとても甘い。都督ってきっと忙しいんだろうけれど、時間をみつけて一緒にいてくれる。
「きっと…だいじょうぶ、だよね、尚香さんもああいってくれていたし…」
(…今のってことは、それより前は……公瑾さんは都督になれる能力もあって、楽も上手で、かっこよくて、公瑾さんを好きな侍女さんたちもあんなにいっぱいいて……だめ…これ、考えちゃダメだ…)
頭をぶんぶん振って嫌な考えを振り払う。
私が公瑾さんの恋人になったのは皆の知るところではあっても、侍女さんたちから私に厳しいまなざしが注がれていることはしょっちゅうある。公瑾さんに取り付く島はないけど、それでも下心が透けて見えるほどの侍女さんがいるのは事実だ。
(隠し子騒動も、成都行きでも、公瑾さんのこと信じてないことで喧嘩になったんだった。公瑾さんは私のこと好きでいてくれる。そのことを信じよう)
(でも、公瑾さんの気持ち次第なんだよね…)
どうしても暗い方向に考えてしまう。今日はなんだか日が悪いみたいだ。
部屋に戻る頃には黄昏時になっていた。庭木に重なって人影がある。シルエットですぐに公瑾さんとわかる。
「公瑾さ…」
声をかけると、横にもう一人小さな人影があったことに気づいた。その女の人は、ささっと去っていた。やましいところがなければ、そんなふうに去って行かなくてもいいんじゃないのかな…そんな疑う気持ちがわいて胸が痛む。さっき信じようって思ったところなのに。公瑾さんはそんな私の様子に気が付いてないみたいに、いつも通りだった。
「花、明日は貴女も休みの日でしょう。私も休みをもらったので、でかけませんか」
「え、あ、はい」
「気乗り、しませんか?」
「いえ、そんなことはないです」
公瑾さんと出かけられるのはうれしい。でも…さっきの人は…。
公瑾さんは少し考えて、私の手を引いて公瑾さんの部屋の方に向かった。
「今日のうちに行ってしまいましょう。城門が閉まる前に」
「支度もしてないですよ?」
「大丈夫です、前にもこうして出かけたでしょう」
公瑾さんは手早く支度をして、私には公瑾さんの上着をかけた。
「掴まって」
そういうと、私を抱き上げて厩舎につれていって、馬に乗せる。
京城の街を抜け、城門をくぐって、南に走った。
横座りで馬に乗せられたから、公瑾さんにしがみつくかたちになる。近くにいるのにさっきのことが訊きにくくて、言葉がでてこない。ぎゅっと抱きついて、顔を埋めた。公瑾さんの体温が伝わってくる。胸に頭をくっつけていて、誰よりも近いところにいるはずだからと自分を宥めていた。
しばらく進むと参宿は西に傾いていた。少し欠けた十六夜の月がまだ冬の空気を残した空に冴えている。夜空を見るといつも思うけれど、私の住んでいた時代と違って灯りがない分、星がすごくよく見える。
「冬にあなたと見た参宿はもう見える方角がこんなに変わりました」
「そうですね。もう、春が来るんですね」
会話をしていても、なんとなくどこかにあの影がひっかかる。
そう思っていたら、公瑾さんが馬の歩みを落として、私の顔をじっと見た。眉間を指でこすられる。
「その愁眉…なにか…ありましたか?」
「え、いや、何でも…」
「私と出かけるのは御嫌でしたか?」
(だめだ、これですれ違うのは前にも何度もやってる。公瑾さんにはちゃんと思ってること伝えなきゃ)
「嫌、じゃ、ないです。……その、さっき会うまえに女の人と、いませんでしたか。それが…気に…なってて…」
思い切ってそういうと、公瑾さんは、ちょっと驚いたような顔をした。
そして優しさを帯びた「しょうがないなあ」っていう感じの溜息をついた。
「それは…私のことを信じてもらえない、のではなく、やきもち…ということでしょうか。信じてなかったと、おしおきをしてもいいのですが…それよりも、貴女が私のことで嫉妬してくれたのは嬉しいので、見逃してさしあげます」
公瑾さんが柔らかな笑顔で私を見つめる。甘い口づけが降りてくる。
「それに、先ほどの女性のことを貴女が心配する必要なんかないのです。あなたを別荘に連れて行くために、部屋を整えるよう頼んでいた別荘番の縁者で、さっきはいつ来てもいいようになっていると報告を受けたところだったのですから。用を伝えてすぐに去ったところに貴女が帰ってきたのだと思います」
「よかった…ごめんなさい、変なこと心配して」
ほっとしてそういうと、おでこにキスしてくれた。
「いいですよ。やきもちを焼かれるのも、貴女にならまんざらでもない」
髪を撫でられる。
「早く貴女をゆっくりと見つめたくなりました。少し急ぎます」
馬を駆けて、月が高くなる頃に別荘についた。
公瑾さんが私の手をとって馬から降ろしてくれる。いつも、しっかりと支えられて、馬の乗り降りで怖い思いをしたことはなかった。公瑾さんはそういう人だ。どう思っているかは仕草や音色が伝えてくる。
前に来たのは秋の嵐の日だった。あのときは桂花の香るなか、公瑾さんと過ごした。後で公瑾さんに桂花を塩で封じた瓶をもらった。今も蓋をあけるとその香は残っている。思い出すと顔が赤くなってしまう。
手を引かれて門をくぐると、品のある香りが漂ってきた。
前に来たのは秋の嵐の日だった。あのときは桂花の香るなか、公瑾さんと過ごした。後で公瑾さんに桂花を塩で封じた瓶をもらった。今も蓋をあけるとその香は残っている。思い出すと顔が赤くなってしまう。
手を引かれて門をくぐると、品のある香りが漂ってきた。
「いい香り…」
「瑞香です。気に入っていただけましたか」
「この香り、知ってます。私が住んでいた所にもあって、この花が咲くとだんだん暖かくなって春になるんです」
庭に進むと、薄紅色の四つの花びらの小さな花が毬のように重なって枝先についている木が茂っていた。沈丁花だ。毎年この香り好きだなって思っていた。花に顔を寄せて香りをいっぱいに吸い込む。まだ肌寒い中、かわいい花をたくさんつけて凛とした香りを放っている。いろんなものがほぐれていくみたい。
「貴女の好きな香りのようでよかった」
公瑾さんが柔らかく微笑んで枝先から花の毬を一つ摘まんで私の掌に乗せた。
「この庭は私の好みで木を選んでいるのです。秋に連れてきたあと、春にどうしても貴女をここにつれてきたかった。私の大事にしているものを貴女と共にしたかったから」
「…そう思ってくれて、うれしい、です」
公瑾さんは掌に花の乗った私の手をそっと引き寄せて、指に唇で触れた。何度も触れ合っているのに、どきどきする。
「花。以前、貴女に、私は嫉妬深いと言ったことがあるでしょう?」
私の指先を公瑾さんの口元に触れたまま、公瑾さんは視線だけを私に絡める。その奥にある熱は私よりずっと大人で、とりこまれてしまいそうだった。
「…はい」
いつもよりも、ずっと奥底の気持ちを話してくれている。
嫉妬深いと言ったのは成都のときのことだ。そのときのことを思いだすと恥ずかしくて掠れた声で返事をするのが精いっぱいだった。
嫉妬深いと言ったのは成都のときのことだ。そのときのことを思いだすと恥ずかしくて掠れた声で返事をするのが精いっぱいだった。
「私は貴女の一番でいるのではなく、二番以下のない特別な存在でいたい。だから、誰も真似のできない、二人だけの特別なところで貴女に伝えたいのです。多くの人が愛を語る桃の花の下ではなく、瑞香につつまれる私の庭で…」
そういうと、少し視線を落として、言葉を探しているようだった。
俯くと前髪がこぼれてすっと通った鼻筋に影をおとす。
俯くと前髪がこぼれてすっと通った鼻筋に影をおとす。
公瑾さんの唇が寄せられていた私の手は、公瑾さんの両手に包まれていた。大事なものを包むようなその仕草から、公瑾さんがどう思っているかが伝わってきた。
公瑾さんの涼やかな目元が優しく細められる。穏やかに見つめられる。
「花…愛しています。私の妻になってください」
指が震えた。
瞬きをしたらあたたかいものが頬に落ちた。
公瑾さんは心配するような顔をして長い指の背で私の頬をなぞる。
わかりにくいけど、実は公瑾さんは表情によく出る。
わかりにくいけど、実は公瑾さんは表情によく出る。
「待たせすぎてしまいましたか」
そんなの、もう、どうでもいい。
ふるふる、と首をふって、声にならない声で囁く。
ふるふる、と首をふって、声にならない声で囁く。
「……は…い」
整った顔が近づいてくる。顎を持ち上げられて唇が重ねられる。
「ちゃんと聞かせてください?」
艶のある声で囁かれる。背伸びをして公瑾さんの首の後ろに手を伸ばしてぎゅっと抱きついた。
「公瑾さん、私も、公瑾さんの特別でいたいです…」
「一生、貴女を大事にします。この庭も貴女の好きな草木を植えて、私たちの日々を重ねて…」
見つめ合って、唇を重ねた。
触れるだけから、深く確かめ合うように、何度も。
触れるだけから、深く確かめ合うように、何度も。
抱き上げられて寝台に運ばれる。公瑾さんの指先が衣の上から私を辿る。私というかたちを描き出すように。その、私のかたちは公瑾さんの手で奏でられる。甘い声がこぼれてしまうのが恥ずかしかった。その様子さえも、公瑾さんはうれしそうにする。
自信家なようで怖がりな公瑾さんが私といることを求めてくれるのが嬉しかった。
ただ愛しくて、求め合った。
肌を合わせることが、こんなにも安心して幸せになれるというのは公瑾さんに教えてもらった。
ただ愛しくて、求め合った。
肌を合わせることが、こんなにも安心して幸せになれるというのは公瑾さんに教えてもらった。
公瑾さんと沈丁花の香に包まれたこの夜を忘れない。
これから幾千の夜が降り積もっても。
これから幾千の夜が降り積もっても。
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