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 年が明けて数日過ぎた。年始の賑わいが一段落ついて、年の改まった清々しさに満ちているこの頃は正の好きな季節の一つだった。今朝の冷え込みは一段と強く、布団の中で寝返りをうっていたところに甲高い一番鶏の鳴き声が聞こえてきて目が覚めてしまった。
 妻となり、宮ノ杜の若奥様として正月を乗り切ったはるは隣でまだぐっすりと寝ている。先代の奥方は誰も屋敷に住んでいないこともあって、教えてくれる者もいない。慣れないことばかりで気も張っていただろうし、疲れたのだろう。
 正は、はるを起こさないようにそっと起きて外へ出た。使用人宿舎はもう人が起きて朝の支度をしている気配がしていた。屋敷から出て、朝の道を歩く。
 帝都の冬は木枯らしが冷たいのだが、澄んだ青空のことが多い。今朝もよく晴れ渡っていた。早朝は霜の花が咲き、踏みしめるごとに、ぱり、ぱり、と音がする。冷たい空気を深く吸い込むと、身体がきりりと引きしまる。朝日が柔らかく、この色をはるにも見せたいと思った。はるなら何と表現するだろうか。
 時を重ねるほどに、正の内側にはるが大きな場所を占める。それは心地の良い暖かさだった。
 屋敷から離れた野原に、若菜摘みをする者がいた。
 そうだ、今日は七日だった。
 せりなずな 御形はこべら 仏の座 すずなすずしろ これぞ七草
 
 春の七草の歌は知っているし、七草粥も食べてはいるが、生えている草のどれが芹で、御形やらさっぱり見当がつかなかった。
 すずなとすずしろはそれぞれ蕪と大根だから畑のものだろう。正は腰を落として草を眺める。なずなだけは、庭に生えていて特徴のある姿をしているから名前を覚えていた。探そうとして草に目をやると、遠目には緑の草としてひとまとまりでみていたものが、たくさんの草花が生い茂って草原になっていると気づく。それらの葉は細長かったり、平たく丸かったり、毛が生えていたりと様々だ。
 しばらく探していると、寒さで地面に近いところに生えている草花のなかでも、すっくりと背伸びをして小さな白い花を冠している草を見つけた。なずなだ。この寒空に花をつけているのが健気だ。
 正はふと、はるのようだ、と思った。
 蘭や菊のように大事に育てられ、美しい花姿のようなご令嬢たちとの縁談も何度もあったが、心惹かれたのは野に咲く花のようなはるだった。
 (……摘んで帰るか)
 ふたつみっつ、手折って掌に乗せる。
 雲で日が陰ったと思ったら風花が舞い落ちてきた。
 (我が衣手に 雪は降りつつ、か。こういう心持になるのも、そう、悪くはないものだな)
 はるに見せたときの顔を想像する。
 (いったい何と言って渡せばよいものか…)
 言葉を探しながら屋敷に戻る。
 部屋に帰るとはるは起きていた。
「正様?もうどちらかにお出かけだったんですか?」
「ああ、寒くて早く目が覚めてしまったからな。ほら」
 正ははるになずなを手渡した。あれだけ言葉を探したのに差し出す時には「ほら」しか出てこなかった。
「なずなですね。かわいいです。今日は七草だから、ですか?」
「ああ、まあ、そんなところだ」
 なずなを手にして、微笑むはるが愛おしい。
 受け取るときのはるの手は暖かで、自分の手が冷やしてしまわないように正はすぐに手を引っ込めた。
「正様、ありがとうございます。手がすごく冷たいです。貸してください」
 はるが正の手をとって両手で包む。
「やめなさい、お前の手が冷たくなってしまう」
「いいえ、正様が花を摘んでくれたのが嬉しくて、気持ちがあったかいから大丈夫です。……冷え切ってますね。じゃあこうしましょう」
 はるは、自分の頬に正の手を持っていき、その上からはるの手を重ねた。冷え切った掌と手の甲の両側からはるの体温が広がっていく。
「それは、お前が寒いだろう」
「母ちゃんも、冬に外で手伝った後こうしてあっためてくれたんです」
 正を見上げるはるの笑顔は日向のようだった。
 宮ノ杜を背負って、氷のなかにいたような自分ははるを待ち望んでいたのだろう。
 正ははるに唇を寄せた。
 あたたかいもの。
 あたたかい想い。
 今年はどれだけはると重ねられるだろうか。
 部屋には冬の柔らかな日差しが満ちていた。
君がため 春の野に出でて 若菜摘む
 我が衣手に 雪は降りつつ 
               光孝天皇
小倉百人一首 十五
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