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雪がまた降り出した。
古い事務所の窓の埃っぽいブラインド越しに僕は空を見上げた。
雪の夜は、音が吸収されて静かだ。
言葉があまり変わらなくて、出身を訊かれにくいだろうと移り住んだ北の大きな都市。思ったよりも栄えていて、地元にいたときと変わらない便利さだった。人付き合いも薄くて、僕一人が紛れ込むくらい何の違和感もなく、そういう意味でもいい街だった。1年が過ぎ、生活にも慣れた。冬に雪に閉ざされる以外は。
あの人たちにもらった聖く生きるという名前はあまりにも僕には重たかった。ありがちな名を名乗って夜の街の仕事を見つけ、それを足掛かりに探偵事務所の助手についた。浮気調査ばかりだけれど、つまらなくはなかった。依頼に来るご婦人には僕の品の良い雰囲気が好評らしい。内心浮気された女を見下しているのは気づかれていないようだ。所長は僕のことはあまり詮索せず、事務所に寝泊まりしていいことにしてくれた。
僕と、僕の記録、彼にまつわるものすべてを焼却して、僕はあの家から離れた。自然に見えるように、自分探し風の書置きをして。
……あの人たちは少しは失望した顔をしてくれただろうか。
失望を期待するなんて、子供じみている、か。
ふと自分で気づいたものの、そのセリフはあの女なら自信満々に言いかねないのが腹立たしかった。
ノートパソコンで忌々しいあの女のTwitterを開く。実名は曝していないものの特定は容易かった。全世界に向けて生活がダダ漏れで、その気になれば明日にでも僕があの女を始末するのは造作もないように思えた。自制のためにたまにしか開かないようにしていた。開くのはいつぶりだろう。
あの女のRTでタイムラインに表示された動画が自動再生された。
薄暗い照明に浮かび上がるすらりとした影。
泣いているようなサックスの音色。
心臓が、大きく、音を立てた。
――――― 彼、だ。
頭の中が氷水を浴びたようだった。
僕は身じろぎもせず、ただその画面を眺めた。
90秒の動画は、暗がりの中、繰り返し再生された。
あれほど執着した存在が、画面の向こうで、今も呼吸している。
自分で追っていたときと違って、誰かの視点で動画のなかに囚われた彼は、彼を遠く感じさせた。まるで、手の届かぬスターをみているかのように。
いや、追っていた時も手は届いていなかった。
愛しているのか憎んでいるのかそれさえも見失い、ただ、彼と一つになりたかった。彼になりたかった。
歪な僕の欲動で彼を破壊してしまわなくてよかった。
そこはあの女に感謝してやる。
……大きく動揺したけれど、大丈夫だ。過去形で思ったじゃないか。
自分に語りかけるように宥める。
影になっていた彼の顔が一瞬ライトに照らされていた。
音に委ねているその表情は何者にも侵し難いものがあった。
聖いのは彼だ。
ひねた笑みを口の端に浮かべ、僕は画面を閉じた。
頬を伝うものが何かはわからない。
そして彼の知らないこの街で生きる。
もう、あの女のTwitterを開くこともないだろう。
僕はここで呼吸するのだから。
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